逆転の発想で悪の罠を見抜き人生の悩みを裁つ―弁護士50年の法力

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著者: 松枝 迪夫
発行日: 2010年7月10日
判型: A4判
コード: ISBN978-4904419083

人生を幸福に生きるためには、まず人にだまされないこと、次に、健康で長寿であり続けることが重要。弁護士として様々な人生の悩みを受け続けてきた著者がたどり着いた、様々な問題解決方法をまとめた書。

逆転堂通信第9回


イランの旅(5)


ゾロアスター教を現代の眼でみる


1.ゾロアスター教はこの世をどう見ているかー二元論


開祖ゾロアスターはすごい現実洞察力をもった人物だという気がします。
この世は善と悪が対立し抗争している、しかも善が簡単に勝利するという甘い御伽話は彼には信じられなかったのです。ユダヤ教的な一神教にとびつくと、全知全能の絶対神が天上に存在し人間世界を支配していると考えます。もしそんな全能の神、しかも善を窮極に実現される神なら、そもそもこの世にそんな悪をなぜはびこらせたのでしょうか。最初から、またいつまでも楽園に人々を住まわせればよいではありませんか。工デンの園から追放して人類を苦しめるという発想を創作する理由はないじゃありませんか。
この一神教のもつ根本的不自然さに、ゾロアスターは、この世には善と悪の神はほぼ対等なカ関係で存在すると主張しました。その説明のために、一応宇宙の体系だった説明として頂点の最高神マフラ・マズダに、双子がいてその子たちはそれぞれ勝手に善の道と悪の道を選んで進んでいったと考えました。兄弟ですから対等に闘争し、善の神が容易に勝つというふうには考えられません。それが現実を直視して得られた彼の解釈だったのです。
この彼の二元論の思想は、後にギリシア哲学に深い影響を与えました。プラトンはゾロアスター教について深い知識をもっていたといわれます。ゾロアスター教の秘儀に通じた人をマゴスとギリシア語で呼んでいましたが、プラトンを始め立派な学者がマゴスにいました。他方マゴスには別の悪い意味が生まれてきました。魔術的なことをして悪をする者という意味です。それで、うっかりマゴスというと、悪者のいみにとられかねないので、用心が必要でした。そして、善と悪は外部現象として存在するのみでなく、人間の心の奥底にも善と悪が潜んでいるという近代的哲学の中に、ゾロアスター教の思想が伝わっています。キリスト教を批判したニーチェのような19世紀哲学者はこの思想の影響を深く受けています。人間の心には、明るい理智的なアポロ型と暗い、衝動的悪的なディオニュソス型(英語でバッカスという酒神のことでギリシアの酒の神)の二元論で説明したのも独創家ニーチェに始まります。私達は自分の心の中には、キレイ事で済まない、ドロドロした悪とも何ともいえない不気味な衝動に馳られる激情が内在していることを否定できないでしょう。ニーチェに指摘されるまでもなく、ゾロアスターは三千年前に人間を深く洞察していたのです。

 
2.悪ははびこったままでいいのかー応報思想
 この世の善と悪は、ではいつまでも戦い続け悪は滅びないのでしょうか。あの悪党めがのうのうと罰を受けずうまくやっている、その子孫も栄えている。他方に、善良な小市民的なつつましい暮らしをしていた人が天災や犯罪で苦しめられている、救いも一向にこない、正義はどこへ行ったのかと思うことも多い。これはどうもおかしい、正義は滅びたのか、神はいないのかと叫びたくなるのが人情です。人間はもともと心に正義感が備わっていて、不正義を許したくない気持ちがあります。これは本能です。ですから不正義に反対して政治連動や革命が起きるのです。マスコミでも異様なほど不正や不義を報道しタタキます。それは大衆の心の中にそれに共鳴する感情があるからでしょう。(この正義感は他人の悪には滅法厳しいが、自己の欲望の実現という場合はエゴに曇らされて全く機能しません。常に人は、自分は正しいと弁明し、言い釈を創り出します。しかし、これは正義感というものがなくなったのではなく、自己の行為には霧か色をつけて正義の行為に化かそうとしているのです。だから人間という生物は不正義を是認しているのではありません。
 ゾロアスターは偉大な宗教家です。大衆は宗教のカでこの世の苦や悪に対し報復を求め自身の救済を願っていることを知ってました。そこで、窮極には悪は善に倒され滅びると彼は説きました。その時期はそう簡単に訪れませんが、いつかこの世は滅亡するが、その時に悪は滅亡すると説きました。そしてその滅亡の時に、個人個人の所業の結果も厳しく審判され、天国行きと地獄行きに人々は分けられると説いたのです。この説明で、人々は納得できるのです。


3.最後の審判はあるのか―特異な思想
 最後の審判という思想をはっきりもっている宗教はユダヤ教、それと同系のキリスト教とイスラム教です。この世に終末があり、その最後のときに神の裁きが行われます。死者も呼び戻され生きてる者も、またすべて神の前で最後の審判を受けなければなりません。善行をより多く積んだ者は天使に導かれて美しい天国へ案内されます。悪行をより多く積んだ者は却火もえる地獄に堕され永遠の責苦を受けることになります。ダンテの神曲では、天国と地獄の間に煉獄があるといってますから来世は三種ほどの世界があることになります。どんな恐ろしい又いゝ世界か神曲をお読み下さい。
 ゾロアスター教もこのユダヤ人の思想をとり入れてます。多分今から数千年前の古代アーリア人の間にすでにユダヤ人の一神教と最後の審判の思想が入りこんでいたのでしょう。
 なぜ古代人は終末観と最後の審判の思想をもったのでしょうか。それは、人間のもつ正義感と救済への願望からだと思います。悪人が罰を受けず楽をして生きている、その反面善人でも悪に痛めつけられ苦しんでいる、そうした現実が死後もいつまでも続くということは、気持ちの上で許せないのです。その報い、因果応報があるべきだと人々は考え、また願います。その心を宗教家はくみとらなければなりません。こうした思考の上に、悪因悪果、善因善果という因果応報思想が生まれました。そして人の死んだとき、あるいはこの世の終末のときに、審判という形で人の生前の所業に対し決着がつけられるのです。
「最後の審判」の考えをとらない宗教はたくさんあります。むしろ、とらない宗教が大部分でユダヤ教などは少数派だとみた方がいいでしょう。仏教も中国の道教もヒンドゥー教もこの考えはもっていません。ちょっと似たような考えに、「地獄と極楽」の思想があります。これは仏教でいう「因果応報」の思想の便宜的な説明とみた方がよいと思います。悪事を積んだ者は悪の報いを受け、地獄の責苦を受けるし、善行を積んだ者は善の報いを受け、極楽(天国)に安住できると考えます。ただしその審判は、この世の終末、最後ではなく、個々人の死んだときに、エンマ王により裁かれて、極楽行きと地獄行きにふり分けられるという考えです。この絵画的な、情緒的な説明はなかなか合理的で人を納得させるものではありませんか。


4.宗教にも運・不運がある
 ゾロアスター教はその実体が余り知られていないため、いい宗教なのか怪しい宗教なのかということすら判断できない人が多いでしょう。
 今回私は縁あって少し勉強してみてわかったことですが、歴史上数ある宗教の中でも、ゾロアスター教は近代思想の上から吟味してもそれに堪えうる優れた思想と実践徳目を備えていると思います。
 それにもかかわらず、かつてはオリエントの大帝国ペルシアの国教として勢力をもっていたのに、今や全世界でも十万人そこそこの信者数しかない、消滅しかけているような宗教となったのはどうしてでしょうか。教義の内容もすぐれているし日常の戒律的なこともさほど突飛なことが要求されているようには見えないのにどうなってしまったのでしょうか。
 結局不運だったのです。イスラム教のアラブ人にペルシア(今のイラン)が征服され、住民全部が徹底したイスラム教にもとずく生活を強制されそれが永年続いて慣らされてしまったからです。アラブ人の7世紀に始まる大征服運動は、よく言われたように、右手に剣を、左手にコーランをもって改宗を迫る大宗教戦争でもありました。その占領から21世紀の現在までイスラム教国となったイランでは、ゾロアスター教の復活する余地はなかったのです。
 似たような不運は、インドの仏教の場合にもみられるす。仏教が中心国家の国教となって長らく栄えていたインドで、どうして滅亡してしまったのでしょうか。釈迦誕生のインドだというのに今や完全にヒンドゥー教にとって代わられ、イスラム台頭後はインドの半分位の地域(今のインド西部パキススタンとインド東部のバングラディシュ)がイスラム教徒の国となってしまいました。滅亡の原因はいろいら言われていますが、一つは外部的要因、他は内在的要因です。この外部的要因というのが、13世紀のイスラムによるヴィクラマシラー寺院の焼打ちと僧侶の虐殺がきっかけで、徹底したイスラム教徒による武力攻撃です。それ以後仏教寺院はインドからほとんど消えてしまいました。皆様は、中国奥地やインドの寺院跡を見学されたとき、首を打ち落とされた仏像や、頭が幸い残っていても鼻を削がれた仏像をご覧になるでしょう。これは偶像を嫌うイスラム教徒が破壊したためです。鼻は生命ですからそれを断って息の根をとめたから、まあ頭をちょんぎるのは勘弁してやろうという程度の考えです。恐ろしいことです。
 こういうふうに、ある宗教が滅亡し衰退する例をみると、この地上で、ある宗教が発展しているかどうかは、運がいいか不幸なめぐり合わせに遭わなかったかどうか、だといえそうです。中南米、インカの国で土着信仰が破壊され、キリスト教がスペインの征服者により強制されたことは、中南米の人々にとって不運なことでした。更にいえば、西欧社会がユダヤ生まれのキリスト教に支配され、中世の暗黒時代を迎えたのもローマ帝国がキリスト教を国教としたため、キリスト教が幸運にも勢力を伸ばし、世俗を支配するという行き過ぎた結果によるものです。そのため、西欧の土着宗教は、ギリシア・ローマの神をを始め、ケルト族の神、ゲルマンの森の神、北欧神話の神など皆キリスト教に駆逐されてしまったのです。それらの神とそれを信仰していた人々は不運だったというより他はありません。日本の八百万の神々は、仏教が日本へ入り国教的地位を得た後も、仏教の寛容さの故にうまく共存し、神仏習合の思想まで生まれ、仲良く今までやってこられたというのは、日本の宗教界にとって幸運だったといえます。
 このように、この世の中では、その宗教がどんなに秀れていても政治的力関係で滅び衰退することがあることを知らされます。


5.仏教との類似―八正道と三業
 私たちになじみの仏教では、四諦八正道という根本的な実践徳目があります。怪しげな神に頼らず、心の悟りをめざすという合理的な仏教では、八つの悟りへの修業の道を説きます。(1)正見、(2)正思惟、(3)正語、(4)正業、(5)正命、(6)正精進、(7)正念、(8)正定、をいいます。
 さて、ゾロアスター教では三つの日常実践すべき徳目、三業がありますが、(1)善思<正しい思い>、(2)善語<正しい言葉>、(3)善行<正しい行為>、です。この三業は、現代の私たちがもっている倫理的に生きていく上での道徳律と同じものです。この三つは、上述の仏教の八正道とほぼ重なる、同じようなものです。(8)の正定は、正しい瞑想という解脱への技術的な修業法(坐禅)で少し性質が異なるだけで、他の7つはゾロアスターの3つの教えに重ないます。これはどう考えるべきでしょうか。偶然にお釈伽さんが同じ思索に到達したのでしょうか。ゾロアスターは釈迦より約100年位前の人です。彼の思想がインドに入って影響したと思われますし、別の考えも可能です。もともとこの両者はアーリア人でイラン・インド系で先祖は共通ですから同じ精神土壌、宗教観をもっていたとも考えられるのです。
 ゾロアスターにせよ釈迦にせよ、特権階層が支配し利益をむさぼる腐敗堕落した社会に対し氏衆の不満に応えて社会革新を主張しました。彼らは同じ一つの革命家でした。その教えとなったのではないでしょうか。


6.プロテスタンチズムとの類以―「天職」と日常職務
 ゾロアスター教の教義の箇所で、信者となる者の日常の心構えを説明しました。義とされる者は、当時の生活形態だった定着農牧生活を真面目に送り、教祖の示す善思、善言、善行の教えを守るべく献身精進する者です。不義とされる者は、悪徳商業、掠奪経済に従うことであり、神への特殊ないかがわしい儀式を行う者です。
 これは、孔子の教える儒教の徳目にも合致する、人類普遍の道徳律に沿うものです。それで思い出したのですが、キリスト教の新教、つまりプロテスタントの教えがこれまた類似しているのではないかということです。キリスト教の信者でもプロテスタントは、日常生活を聖書の教えに従って、つつましく真面目に送ることが大切なことで、特別の戒律とが寄附をするとか、通常人に守れないことはしないでよいという教えです。自己の職業は親代々の職業、それを継いでそれを「天職」と心得て精進することが大切だと説きます。天職とはcallingと英語でいいますが、天の神に召された仕事(神の呼ぶ声call)というところからきています。今与えられている世俗的職業を大切にし一所懸命に励むことが神の意に叶うことであり、義とされると考えるのです。中世以来欧州では何となく労働は卑しいこととみられてきました。しかし日常の労働こそ意義のあることと積極的に日常職務を評価する気運が大衆の間に生まれることになったのです。そして金もうけだけをめざすのでなく、真面目に働いて蓄えられた利益は正当なものであり、合理的に事業経営に活用してよいと考えられるようになりました。資本主義は近代ヨーロッパでこうして是認され発展するようになったのです。
 この理論はドイツの宗教社会学者マックス・ウェーバーにより主張され、今は広く支持されています。彼は、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」という有名な著作でそれを述べ、信者が真面目に、禁欲的勤勉さをもって働らくことが神によって義とされると説いたのです。
さて、私がこんなことを述べたのは、マックス・ウェーバーの所説が、ゾロアスター教の教えで日常業務が大切だといっていることと同じだということに気付いたからです。ゾロアスターも、信者が毎日のまっとうな仕事を天職と心得て真面目に精進することの大切さを人々に訴え、その実践者は神によって義の人とされるといっています。この秀れた近代の学者がキリスト教に内在するこの天職論を発見した時より3千年前に、すでにゾロアスターは同じことを説いていたのです。彼の思想の普遍性と革新性が見られるではありませんか。


7.教団の内部は謎―拝火教は奇怪な教えか
 これまで述べてきたことは、ゾロアスター教の教義と若干の儀式(拝火と鳥葬)を念頭においてのことです。実際に教団の内部の戒律、規制や信者の日常生活の詳しい情報にもとずくものではありません。
 どの宗教団体でも、理念や思想だけのキレイ事だけでは済まないのが真実で、表向きの会費の他に寄付金などの負担、入会、退会の制限や自由の問題、洗礼や割礼の問題、出生・婚姻・死亡の人生大行事の儀礼の問題など細々とした、中には不合理な習慣や決め事があるのが普通です。(正直いって、こういうことが厭で信仰団体に入らないという人、また脱会する人も多い。この脱会もなかなか自由にできないことが多い。ヤクザの世界やある相撲部屋もそうですが、退会をさせまいと妨害し脅迫する団体も少なくありません。かつて脱会希望者をリンチにかけ死亡させたオーム真理教がその例。)
 ところが、ゾロアスター教の教団内部や信者の暮らし振りについては、極めて閉鎖的集団のため(多分、イスラムの圧迫からの自衛手段としてそうなった)、外部の人には容易にわからないようです。日本の隠れキリシタンもそうでした。
 拝火教といわれるようにゾロアスター教の拝火儀式は、何か奇抜な儀式に思われそうですが、さほど奇抜でも不可思議でもないようです。我国に空海がもたらした真言密教の秘儀とやらで、今も護摩(ゴマ)を焚いて祈るのは我国でありふれてますが、このゴマは古代アーリア民族の拝火教の儀式がインドの仏教を経由して日本に伝わったものです。ゴマはサンスクリット語ホーマに由来してます。また鳥葬も、死体は不浄と考えられるから崇められるべき土がケガレルといけないという考えにもとずいた習俗ですから、それなりの合理性があります。世界各地で鳥葬、風葬が存在していますから、とくに奇怪なものと考える必要はなさそうです。 それだからこそ、ペルシア大帝国の国教として採用されたのでしょう。我国で徳川家康が儒教を国教扱いしたのと同じような狙いがあったのでしょう。
 このように末解明の分野が沢山ありますが、わかっている範囲で判断して、全体としてゾロアスター教は現代でも堪えうるすぐれた教義をもつ第一級の宗教(民族宗教というより世界宗教的性格をもつ)だというのが私の感想です。


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