日本で「研究倫理」というと、研究データの捏造や改ざんなどがイメージされることが多い。たとえば、ここ数年のあいだに「研究倫理」という言葉で報道された事例も、同じデータを不正に使い回していた、あるいは、他人の論文の一部を盗用していた、といった類のものである。「出版するか、さもなくば消えるか(publish or perish)」という業績至上主義的な考え方が日本でも強まり、不正な手段を使ってでも成果をあげたいと思う研究者が現れた、ということだろうか。もちろん、これら「科学者の不正行為」の問題は、あらゆる科学研究に共通のテーマであり、医学・生命科学研究の分野でもその重要性は増してきている。
田代志門
日本で「研究倫理」というと、研究データの捏造や改ざんなどがイメージされることが多い。たとえば、ここ数年のあいだに「研究倫理」という言葉で報道された事例も、同じデータを不正に使い回していた、あるいは、他人の論文の一部を盗用していた、といった類のものである。「出版するか、さもなくば消えるか(publish or perish)」という業績至上主義的な考え方が日本でも強まり、不正な手段を使ってでも成果をあげたいと思う研究者が現れた、ということだろうか。もちろん、これら「科学者の不正行為」の問題は、あらゆる科学研究に共通のテーマであり、医学・生命科学研究の分野でもその重要性は増してきている。
ただし、医学・生命科学研究の場合には、これら不正行為の問題以外にも、取り組むべき重要な倫理的問題は多い。たとえば、この分野において定評のある『臨床研究倫理オックスフォード・テキストブック』の目次を見てみよう(表)。テキストブックは全73章、11セクションから構成されているが、データ捏造・偽造などの問題は、「臨床研究者の行為」という最後のセクションの一部で扱われているにすぎない。それ以外の多くのセクションは、「研究者」の倫理的問題というよりも、「研究」ないしは「研究計画」そのものの倫理性を問題にしている。その内容は、日本でも馴染みのある「倫理審査」や「インフォームド・コンセント」といったテーマから、「科学的デザイン」、「被験者の選択」、「リスク・ベネフィット評価」など、ほとんど知られていない分野まで幅広い(なお、広義の研究倫理には動物実験の問題が含まれるが、ここでは扱わない)。